「愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない、自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しない限り、人を愛そうとしても必ず失敗する。」
(エーリッヒ・フロム『愛するということ』より)
この言葉に出会ったのは今から33年前です。
約39年前に「愛の技術」と題されるこの原書は新鮮で衝撃的でした。
愛には努力が必要なのか・・・・・・!?
捉えどころのないような感覚に少なからず違和感を感じました。
愛には努力が必要で、一種の技術・・・・!?
33年前・・・・・
少なからず愛に迷い、愛に失望し、愛に望みを感じることができなかった自分にタイミングよく飛び込んできた言葉でもありました。
様々な指南書が氾濫している昨今、恋愛本、SEXマニュアル、デートブック・・・といったテーマの書籍や雑誌が目立ちます。
しかし、「愛は技術である。」と言い切った、ストイックで偏屈な本はそう簡単には見つかりません。
現在は軽率でプラトニックのかけらもないような「S〇X本」が多く出回っています。
33年という時間の流れの中で、科学技術は素晴らしい発展を遂げましたが、人間の感情を含むマインドはどうでしょう?
今も毎日のように、恋愛や妄想などで感情もつれから行き場を失って、殺人事件などが巷のニュースにあふれ返っています。
科学技術の進化と並行して人間のマインドもそれなりに進化発展すれば良いのですが、ご覧の通りです。
ITや技術革新がどんなに進んでも生身の人間の感情コントロールの革新はまったく進化していないのです。
これらの悲惨な結果は利己的な愛?が氾濫してしまった結果ではないかと思えてきます。
「愛は技術である。」
「自分と同じように隣人を愛せよ」
約2000年前に救世主と言われたイエスが語ったこの言葉はもう私たちの心の中に
反映されることは無いのでしょうか?
いや、そんなことは無いはずです。
だからこそ、このいたってシンプルな教えである、【愛の技術】が必要だと痛感します。
愛する人を尊敬し、信頼し、規約を尊守し、謙虚にそして、勇気を持って、奪わず、可能性を閉じ込めず、やさしく見守る・・・・
このような【愛の技術】は今も昔も支持されています。
愛は信念を伴って発芽するのだ・・・ということを毅然とした態度で正面から語ってくる、「愛するということ」からの言葉の響き。
大切にしたい言葉の響きです。
本日もあなたにとって素晴らしい気付きが降り注ぎますように・・・・。