ボブ・マーリーの生涯と音楽を描いた伝記映画、
「ボブ・マーリー ONE LOVE」を観てきた。
昭和世代のロン毛のおじさん達が何人かいた。あのボブ・マーリーの愛と武骨なまでの自由に追随する精神性は失われていないのだろうか、などと思いながら席についた。
書くまでもないが、全体的にはレゲエの先駆者としてのマーリーの名声の高まり、ラスタファリ運動への関与、妻のリタ・マーリーとその子供たちとの関係に焦点を当てている映画。
また、マーリーの暗殺未遂事件やその後のロンドンへの亡命など、1970年代後半のジャマイカの政治的混乱についても掘り下げていた。困難に恐れることなく音楽を作り続け、世界的なアイコンとなり、レゲエに込めたメッセージを何世代にもわたってインスピレーションに変え、与えてきた。
世界的にこの映画は好評を博しているらしい。アジアで最高のオープニング興収を記録、公開5日間で興行収入1.5億円 、観客動員10万人突破・・・と、2024年5月22日のX (旧Twitter)にポストされていた。
「One Love」はもちろん、「No Woman, No Cry」、「Redemption Song」など、ボブ・マーリーのヒット曲が映画館に響いた。約33年前にボブ・マーリー亡き後にジャマイカに行って息子のジギーマーリーの追悼コンサートに行った時のことを思い出す。
実際にジャマイカへ行って、日本で感じるレゲエの感覚とあまりにもかけ離れている野性的な体感に驚きながらも、必死にジギーの歌声を聴いた。彼は1968年生まれなので同世代だ。親近感もあった。あの感覚と比べれば、今回のこの映画はオブラートに包まれているように優しく感じた。
深みという点では少し物足りなさがあったが、それも仕方ない。2時間という限られた時間の中では到底無理だ。しかし、そんな思いを消し去ってくれたのが、ボブ・マーリーを演じたキングスレー・ベン・アディールの存在だった。
確かに、引き込まれた。ボブ・マーリーの独特な雰囲気や個性にぴったりの魅力的な演技だったと思う。
このベン・アディールがボブ・マーリー役に選ばれたのは、彼の演技力と、過去の役作りでの印象的な演技が評価されたからだというが、オーディションでは群を抜いていたという。父親と重なる点があったらしい。
Bob Marleyの妻、Rita Marleyの役を演じたLashana Lynchの演技も最高に良かった。特に「No Woman, No Cry」のシーンには寂寥感と共に感動があった。
そして、肝心なのが、脈々と流れている「ラスタファリアニズム」
ラスタファリアニズムとは、1930年代にジャマイカで始まった、アフリカ中心の宗教運動。この運動は、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世を神の化身と見なし、黒人解放とアフリカへの帰還を求めている。
ラスタの信仰は、黒人の尊厳と団結を強調し、人種的不平等や経済的不平等に抗議するメッセージを伝えています。 この宗教運動は、ジャマイカの音楽であるレゲエと密接に結びついており、世界的に有名な歌手であるボブ・マーリーを通じて広く知られるようになりました。 ラスタの信仰は、宗教と政治の両方を組み合わせた、複雑で多面的な運動であり、世界各地で人気を集めているようで、それ自体に驚いた。今でも火は点り続けているのだ。
この運動とレゲエ音楽とのつながりは、ボブが言っていた、〝創造〟と〝意識〟であろう。この言葉が今もずっしりと伝わった。今、まさに〝創造〟と〝意識〟を行動に移して地球規模の運動をしなければならない気もする。
ボブ・マーリーは、音楽を通じてラスタファリアンの信念と価値観を広める上で重要な役割を果たしたと思う。
このラスタファリアニズムが社会正義、抑圧に対する抵抗、団結と愛の促進に焦点を当てていることも、その魅力に貢献している。 これらの価値観は普遍的であり、アフリカ系の人だけでなく、さまざまな背景を持つ人々に受け入れられた。
ラスタファリアニズムの人気が現在でもこんなにあったのか、と思った。音楽、精神性、社会正義、そしてアフリカのアイデンティティと文化との強い結びつきの強力な組み合わせに起因しているラスタファリアニズムが日本でもスパークしてほしい。