善と悪という二元論を簡単にひとくくりに考えていくのは少々難しいことでもあります。
生きながらえていくという必要最小限以外の命の殺生ほど悲しい現実はありません。食べるものに困窮していないにも関わらずに自分の都合で生命の息の根を止めてしまうことは絶対に善くないことです。
昔の知り合いで海の魚をシメル・・・・いわゆる殺すことを仕事にしている人がいました。はじめは何も考えずに淡々と仕事としてとらえて〆ていたそうなのですが、少しづつ時が経つにつれてなんかつらい仕事だなぁ、と感じてきたそうなのです。毎日供養しているそうですが、最近はもう殺したくないといっていました。
仕事として完全に割り切っていたとしてもココロの深いところ、特に潜在意識が無抵抗な生命に対して殺生しなければならないということに抵抗しているのかもしれません。
仕事だし、流通の過程で仕方のないことなのですが殺生したその魚たちが誰の役に立つこともなくただ余って捨てられていくことに対して思いをはせればなんとも悲しい、辛い気持ちになることも理解できます。
このモノが余っている資本主義追求型の現代社会においてはただ立ち尽くし、茫然とするか、もしくは何も考えずに進んでいくしかないのでしょう。
しばらくして、腰痛が悪化してその仕事を辞めてしまったのらしいのですが、辞めてしばらくすると不思議なことに腰痛が完全に消失したそうです。
それを聞いたときに「腰痛は怒りである」という書籍を思い出しました。
Amazonの解説より抜粋
腰痛は不快な感情との直面を避けるために生じる心身症である,とのTMS理論をわかりやすく解説したベストセラー。本を読んで理解すること自体が治癒をもたらします。
ドイツ波動医学でも「腰痛」は「怒り」とリンクしやすいという報告もあります。
抵抗、不快な感情などが繰り返し反復されるとおのずとそれが≪怒り≫という形になって自分をも苦しめる結果になるのかもしれません。
このように魚を〆ることに対して抵抗が出てきた場合、一体どうすればいいのか、我慢して一心不乱に仕事のためと割り切って続けていくか、環境を変えるために退職するか。
職種は別として環境や人間関係に関してはすべての仕事をしている方々に共通する悩みとなりえます。
もしも、退職を決断したら、もう簡単!!!いつでも辞表を出す覚悟ができたわけなので、「いつでもやめれる」状態を保ったまま、毎日走ってみてください。初めの1週間は10分間。自分のペースでちっとも速く走る必要はありません。そして、2週間目は20分間。3週間目は30分。
この3週間のRunningを経ても覚悟は変わらなければ辞めましょう。
しかし、少しでも変化したらカラダの声に従って行動してみてください。
ココロの声だけでなく、
カラダの声も聴いてあげると今までと違った答えが見つかるかもしれません。
結構、味深かったりする答えがひこっと出るかもしれませんよ。