
なぜ「感性」が初対面の距離を縮めるのか
初対面の場面が苦手だと感じる人は少なくありません。
何を話せばいいのか、変に思われないだろうか、沈黙が怖い・・・そんな思考が先に立ち、身体がこわばってしまうこともあります。
しかし、施術の現場や日常の人間関係を通して感じるのは、人は言葉よりも先に「雰囲気」を受け取っているという事実です。
つまり、
同じ空間に居合わせるという瞬間に
「なんとなく」を感じているのです。ここ、大事。
同じ空間に居合わせるという瞬間に
「なんとなく」を感じているのです。ここ、大事。
そのファースト・インパクトの「感じる印象」の享受を意識しているのと、ただ流れのままに「こんにちはー」とか言って何も感じようとせずに物理的に物事を進めていくことの差はとてつもなく大きいと感じます。
どれだけ話題を準備しても、どれだけ上手な言い回しをしても、感性が閉じていれば距離は縮まりません。
初対面で自然に打ち解ける人は、
特別な話術を持っているわけではなく、
「感性の使い方」が少し違うだけなのです。
会話の前に始まっているコミュニケーション
とても大切なことは、人と人とのやり取りは、会話が始まる前からすでに始まっているということです。
立ち方、目線、ジェスチャー、肩の力の入り具合、呼吸の深さ、細かい所作。
こうした要素が、相手に無意識の情報として伝わっていきます。
微細でも緊張しているときには、人は呼吸が浅くなり、身体は防御的になります。
それは「警戒しています」というメッセージとして、言葉以上に相手に届いてしまうのです。
逆に、何も話していなくても、どこか安心感のある人がいます。
それは、その人の感性が外に開かれ、場に馴染んでいるからです。
相手を「観察する」のではなく「感じ取る」
初対面でうまくやろうとすると、多くの人は相手を観察し始めます。
性格はどうか、反応はどうか、どんな話題が正解か。
けれど、観察は時に距離を生みます。
頭で相手を捉えようとすると、自分の感覚は内側に引きこもってしまうのです。
大切なのは、分析ではなく「感じ取る」こと。
相手の声のトーン、話すテンポ、場の空気。
それらを評価せず、ただフラットに受け取る姿勢が、自然な共鳴を生みます。
音叉の共鳴と同じように、相手の振動を上手にキャッチするための観察であり、その人を評価する観察であってはいけないのです。
もう一度書きますね。
「ただ受け取る姿勢が、自然な共鳴を生む」のです。
実はこの感覚は、
量子物理学の世界で語られている「観察」の考え方ともよく似ています。
量子の世界では、電子や光は、誰にも見られていないときには「波」として存在し、観測された瞬間に「粒」として振る舞いを変えることが知られています。
つまり、観察するという行為そのものが、対象の状態を変えてしまうのです。
人と人との関係も、これにとても近いものがあります。
相手を「どういう人か」「正解は何か」と評価や分析の視線で見ると、その瞬間、相手の心や場の空気は無意識に固まり、構え始めます。
観察された側は、「見られている」「測られている」状態になるからです。
一方で、良い悪いを決めず、意味づけもせず、ただそのままを受け取る・・・
その姿勢で向き合うと、相手は防御を解き、自然な状態に戻っていきます。
これは、観測によって粒に固定するのではなく、波としての揺らぎを許している状態とも言えるでしょう。
評価しない観察とは、何もしないことではありません。
相手を変えようとせず、
支配しようとせず、
「今ここにある状態」をそのまま尊重するという、非常に繊細な感性の使い方なのです。
自分の内側を整えると場が和らぐ
初対面で打ち解けるために、まず整えるべきなのは相手ではありません。自分自身の内側です。
ほんの少し呼吸を深くする。
足の裏に体重を感じる。
肩の力が抜けているかを確かめる。
この自己観察が一番初めにやる・・・というよりも、常にその状態でいると自分の内奥の感覚が強化されていきます。
こうした小さな意識だけで、内側は弛緩して、身体は安心の状態に近づいていくのです。
すると不思議なことに、場の空気も自然と柔らいでいくのを感じるでしょう。
水面に小石を落とす波紋のように常に人と人は共鳴したり、打ち消し合ったりしているのです。
したがって、感性とは、外に向かう前に内側で整うものなのだと、僕は何度も実感してきました。
したがって、感性とは、外に向かう前に内側で整うものなのだと、僕は何度も実感してきました。
共感は「同意」ではなく「同調」
打ち解けるためには、相手に共感しなければならない部分もあるでしょう。そう思うと、無理に相手の意見に合わせてしまうことがあります。
けれど、本当の共感とは、同意することだけではないと思います。
相手の感情やリズムに、そっと寄り添うことです。
うなずき方、相づちの間、視線の柔らかさ・・・など様々なコーチングの本には書いてありますよね。
こうした非言語の同調が、言葉以上に「分かってもらえた」という感覚を生みます。
しかし、肝心なのは同調さえできればそれでいい、というわけでもありません。
共鳴同調している自分を更に客観視して、「自分の主張」と「客観的だと思える主張」をそれぞれ述べてみてください。
ゆっくりとした口調で。決して議論的、強制的にならずにです。
あなたのその本音は更に距離を縮めることになり得ます。なぜなら、あなたは外方的、開放的に自分の思いを言葉に乗せたからです。
その振動は先ほどの水面の小石のように広がり、今度は相手がその波紋に同調しようとすることを待つのです。
ゆっくりとした口調で。決して議論的、強制的にならずにです。
あなたのその本音は更に距離を縮めることになり得ます。なぜなら、あなたは外方的、開放的に自分の思いを言葉に乗せたからです。
その振動は先ほどの水面の小石のように広がり、今度は相手がその波紋に同調しようとすることを待つのです。
言葉を選ぶより、間を大切にする
そこで、大切なのは、「沈黙」です。
沈黙が訪れると、多くの人はたいてい焦ります。何か話さなければ、と言葉を探し始めます。しかし、前述した波紋に主張を乗せた後なら大丈夫です。
この、間があるからこそ、相手は安心して自分の思いを言葉にしようと呼吸し始めてくれます。ですから、まずは自分の観察が先なのです。間は失敗ではなく、関係が整うための余白に使うわけです。
無理に埋めようとせず、その間を、波形をイメージして、一緒に味わうということ。それだけで、会話は不思議と自然な流れを取り戻します。
この、間があるからこそ、相手は安心して自分の思いを言葉にしようと呼吸し始めてくれます。ですから、まずは自分の観察が先なのです。間は失敗ではなく、関係が整うための余白に使うわけです。
無理に埋めようとせず、その間を、波形をイメージして、一緒に味わうということ。それだけで、会話は不思議と自然な流れを取り戻します。
初対面が「特別」でなくなる感性の育て方
感性は才能ではなく、日常の中で自ら育てるものです。
自分の身体と心の変化を観察して、目の前の人の話を、最後までよく聴く。更にまた変化した自分の波形の変化に気づく。急がず、余白を許す。
このような積み重ねが、初対面という場面を特別なものではなくしていきます。
気づけば、誰とでも自然に言葉を交わせる自分に出会うでしょう。
打ち解けるとは、相手に合わせることではないのです。
初対面で打ち解けるとは、無理に自分を変えることではありません。相手に合わせることでも、上手に振る舞うことでもないのです。
このような積み重ねが、初対面という場面を特別なものではなくしていきます。
気づけば、誰とでも自然に言葉を交わせる自分に出会うでしょう。
打ち解けるとは、相手に合わせることではないのです。
初対面で打ち解けるとは、無理に自分を変えることではありません。相手に合わせることでも、上手に振る舞うことでもないのです。
「自分の観察をすること」「自分の感性を開くこと」です。
それだけで、人と人の距離は自然と縮まっていきます。
今年も多くの言葉と感性を交わさせていただき、ありがとうございました。
また来年、さらに深いところでつながれることを願っています。
それでは、良いお年をお迎えください。
自己探求は人生の醍醐味です。
静かに、自分と大いなるものは続いていきます。
これからも「大いなるもの」との繋がった生き方のいろいろを書いていきたいと思います。
