テレパシック感性通信

情報化社会から意味を創造する力

【第4回】身体の中心に戻るということ

自然界で“中心”にもどるということ
これまで、沈黙、想念の色、観察、直感について書いてきました。今回はこのシリーズの最後です。

どれも別々の話のようでいて、実はすべて、ひとつの場所 に向かっています。それが「身体の中心」です。

施術家として人の身体に触れていると、その人がどこに“意識の拠点”を置いているのかが、手を通してはっきりと伝わってくることがあります。
施術というのは自覚すれば自覚するほどに不思議な仕事です。
思考や論理より触覚を媒体として意識や想念に関わっていかなければならないような、目には見えない妙な感覚を伴う仕事です。その限られた時間の中で人と関わるプロセスの途上にたくさんのヒントが詰まっていると感じます。
頭に意識が集まりすぎている人。
胸に感情を溜め込んでいる人。
外側ばかりを気にして、中心が空洞になっている人。
不調や迷いが続くとき、
多くの場合、人は自分の中にある意識的意識から分離しています。
それは根本的な「問い」というものを自らに課してこなかった結果だと思うのです。

中心とは「力を入れる場所」ではない

身体の中心というと、腹に力を入れる、軸を作る、そんなイメージを持つ人も多いかもしれません。でも、僕が感じている中心は力む場所ではなく、戻ってくる静かな場所 です。

静けさの中で、呼吸が自然に落ち着いたとき、意識を自覚した瞬間に、宇宙の意識とくっつく感覚です。恐らくこの感覚に慣れ親しんでいた時期があなたにもあるはずです。それが子どもの時です。

この、ある種、疑うことを知らない純粋無垢な子供感覚に滞在できれば・・・
・考えすぎず
・反応しすぎず
・恐れに飲み込まれず
・他人を気にせず
・古い習慣にとらわれず

ただ「ここにいる」「楽しさの中にいる」「気の向くままにいる」状態になります。

沈黙で遊び、観察が始まり、直感が自由にやってくる状態。柔和でなだらかな丸みを帯びた想念とともに自然と溶け合って、混和しているような状態でしょうか。それが自覚的で連続した瞬間です。
すべては、中心に戻った(意識が繋がれた)結果として起こるということです。
この感覚でいれば、暴力も戦争も必要なくなるかもしれませんし、多くの病気も芽を出しにくいと感じるのです。

中心にいる人は、世界と争わない

施術の現場で、回復が早い人には共通点があります。それは外と戦わない ということ。
 
痛みを敵にせず、不調を排除しようとせず、人生をどうにかしようと力まない。ただ、自分の中心に戻り、起きていることを静かに感じ取り、観察する・・・ような感覚でいると回復だけではなく、予防にもつながっていくと思えます。つまり抗わず、認めて、俯瞰する・・・ということです。
 
すると身体は、本来持っている調整力を取り戻していきます。ちなみにこれは“自然治癒力”と呼ばれるものではないです。ここは大変重要です。
 
つい、瞑想や精神統一をしていると、自分では意識していないと思っていても、微細な緊張状態へ陥る人が多いんですね。「精神を落ち着かせなければならない」という緊張状態です。そうではなく、諦念の中に積極性を帯びた弛緩状態、とでもいうのでしょうか。
 
簡単に言えば、「抗わずに積極的にリラックスする」ということです。
 
そんな状態で、<大いなるもの>に対して“謙虚”さを持って自分をオープンにする感覚です。この<大いなるもの>は、創造主とか、神様とか、宇宙の意識といわれているもので、分け隔てのない、<因>です。この<大いなるもの>と同居しているような状態。
 
つまり、「無」へ向かう瞑想も「力」へ向かう精神統一も必要がなくなるのです。
 
常に一緒。つまり本来「離れられないもの」と常に繋がっていることを思い出すということです。となれば、日常生活全般が訓練であり、修行であり、そして気づきとなるわけです。
 
特別な瞑想、精神統一がいらない理由はココにあり。一言でいえば、「意識的に意識する」方向にシフトする、それだけのことです。
 
さて、今度は意識と心、どこが違うのでしょうか?
 
先ほど伝えた、子供のころの感覚。あなたはいつそれが薄れましたか?
 
「嫌われたくない」「良く見せたい」「人と比べる」といった世間一般的な外野との摩擦が始まっていく時期に個的な心は出来上がっていきます。これは、意識とは別物なのですが、自分では中々わかりません。
 
つまり、習慣的なことを繰り返していくとカラダもココロもその習慣の型にはまっていくのです。本来は自由意志を持っているのですが、気づくと型に洗脳されてハマっていくわけです。
 
「これ以外には考えられない」「みんなやっているから正しい」「自分には無理」・・・などという想念が出やすくなります。これが個的な心です。
 
ですから、中心に戻ろうとする心の存在を意識することです。静かな水面を想像して、感情を客観的に俯瞰する。やがて、感情は暴れなくなり、想念の色は透明度を増し、直感が穏やかに方向を示すのを待ちます。

日常の中で中心を失う瞬間

私たちは日常の中で、何度も中心を失います。
・急かされたとき
・否定されたとき
・不安に飲み込まれたとき
・正解を急いだとき
・人と比べた時

 

そのたびに、意識は薄れ、個的な心が顔を出します。狭い範囲で物事を捉えるように習慣づけされていくのです。
でも大切なのは、失わないことではなく、戻れること です。
戻る余裕を作っていく信念が大切です。だって、正しさの基準はあなたの基準なのですから。でも、意識的に意識するとそれを飛び越えます。「宇宙の善」が正しさの基準に変わっていくのです。
 
例えば、万引きするひとがいたとしましょう。本当は知っているんです、「万引きは悪いこと」だと。でもいろんな屁理屈をつけて行動に移してしまう。その後時間が経過すれば意識的意識が働き、後悔するのです。これは殺人も含めあらゆる悪行に共通します。ただ、それさえも気づけなくなってしまうほど、意識と隔離状態になってしまうこともあるのでしょう。
 
自分と繋がっている<大いなるもの>は宇宙の善を基準にしていますので、そこと波長が合えば、後悔するしかないのです。しかし、<大いなるもの>は地球の善悪をも俯瞰するでしょう。
 
何故かというと、「体験」こそ最大の「学び」だからです。
 
愛の深さを知っている人は、憎しみの深さも知っているといわれます。なるべくなら貴重な体験を奪うこと無く教育をした方が得策だと思いますが、「それをやったらいけません」となるわけです。
さて、中心に戻る方法は、とてもシンプルです。これは日常生活の中でこそ習慣にした方が良いことです。特別な場所(パワースポットなど)に行く必要はありません。どこへ行ってもあなたはあなたと繋がっている意識とは離れられないのですから。

日常生活空間の全てをオープンマインドで取り込んでみる

・一呼吸、深く吐く
⇒鼻から息を吸う
⇒下丹田でとめる
⇒口からゆっくり長く吐く×3回
・足裏・手のひらの感覚を感じようとする
・太陽と月を感じようとしてみる
それだけで、意識は静かに内側へ戻ってきます。自分を自覚している自分に気づく瞬間です。

テレパシック感性とは「中心感覚」そのもの

テレパシック感性は、特別な能力ではありません。
それは中心に戻り続ける感覚 です。沈黙に触れ、想念を観察し、直感に耳を澄ませる。そのすべてが、中心に戻るためのプロセス。中心にいるとき、人は自然界と他者を尊重し、未来を信じ、必要な行動を選び取ります。争いは起きにくくなり、恐怖に振り回されなくなる。それは理想論ではなく、身体の感覚として起きる変化です。

このシリーズの終わりに

この4回の記事は、何かを「学ぶ」ためのものではありません。
思い出すためのものです。
静けさを。
観察を。
直感を。
そして、自分の中心を。
もし今、少し疲れていたり、迷っていたり、何かがうまくいっていないと感じているなら、答えは外にはありません。
静かに、中心へ戻る。そこからすべては、また動き始めます。

次の扉について

ここまで読んでくれた方へ。
この感性を、もう少し体系的にまとめた
“核となる場所”があります。
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テレパシック感性の世界観はこちら

https://vitsyu.click/2025/12/05/162608

このシリーズは、ここでひとつの区切りです。
でも、探求はここからが本番。
静かに、続いていきます。
これからも「大いなるもの」
との繋がった生き方のいろいろを書いていきたいと思います。

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