
私たち人間が「テレパシー」と聞くと、
超能力的な響きやSF映画の中の特殊能力を想像しがちです。
しかし、自然界に目を向けてみると、「言葉を使わずに意志を伝える」現象が、ごく当たり前のように存在していることに気づきます。
それは、科学ではまだ完全に解明されていない「感覚の共有」や「場の共鳴」といった現象を通して、生命が繋がり合っている証ともいえるでしょう。
たとえば、
群れで行動する魚や鳥たち。
大きな群れがまるで一つの生命体のように滑らかに方向転換する様子は、誰かが指示を出しているわけでもないのに、全体が一斉に動きます。
これは視覚や音だけでは説明のつかない“共鳴”による動きだと考えられており、いわば「群れの意識」が存在しているともいえます。
植物の世界でも興味深い事例があります。
ある植物が虫に食われた際、その情報が周囲の植物に「化学物質」という形で伝えられ、まだ食われていない植物が防御反応を始めるというのです。
これは物質的な伝達ではありますが、反応の精度やスピードから見ても、明確な「コミュニケーション」が行われていると考えざるを得ません。
さらに、犬や猫などのペットが、
飼い主の帰宅を察知する能力についても、多くの事例があります。
まだ車の音が聞こえない段階で、玄関へ向かう、耳を立てる、しっぽを振る・・・これは単なる習慣というより、飼い主の「気配」や「意識の波長」を感じ取っているのではないでしょうか。
「自然を観察する」と言いますが、
実際は自然のほうが、私たちを観察しているのかもしれませんね。
これは実際に何度も体験しました。
以前、よく山に「トレイルランニング」をしに行きました。(最近はめっきりトレイルウォーキングです笑)

山を走っていて、
ふと足を止めたときに感じる静けさ。
木々のざわめきの中に自分の感情が溶け込んでいくような感覚。
これらは、自然界の「テレパシックな力」に感性が共鳴した瞬間のように何度も感じました。
つまり、テレパシーとは何も人間だけの特権ではなく、むしろ自然界においては「本来の交信手段」として働いているのかもしれません。
言葉がなかった時代、あるいは言葉を持たない生き物たちは、意識の波や場のエネルギーを使って繋がっていた。
その痕跡が、
今も私たちの深層意識に残っていて、ときに「なんとなく感じる」「直感的にわかる」という形で表出してくるのでしょう。
この世界は、
見えるものだけで成り立っているわけではありません。
見えないけれど確かにある
「感覚の交信」を、自然界は今も静かに私たちに教えてくれているのです。
テレパシーという言葉に抵抗がある人でも、
風や空気、動物たちと心が通じた瞬間を持っているはず。
それはまさに、「自然界とのテレパック感性」と呼ぶにふさわしい奇跡のような瞬間なのです。
あぁ、山行きたい。

