星の数ほどある情報に対して全てを知ることはできない。自分が興味関心を持つ対象にピンで意識が働き、それを知ろうとする。その意識を種とすれば、成長の元が興味関心。その成長過程において、さらに好意を抱いていくか、離脱するか。つまり花が咲くのか、枯れるのか。そして、見て、感じて風景が変化していく。これはまるで観察すれば状況が変化するという量子力学そのものではないか。
観察することで世界が変化する、情報との関係性に見る量子力学的な現象
私たちは、毎日膨大な量の情報に囲まれて生きています。
SNSを開けば誰かの投稿が飛び込み、ニュースサイトでは絶え間なく新しい出来事が更新されているというまるでパノラマの早送りの世界のようです。
誰かが「知っておくべき〇〇」と叫び、アルゴリズムは「あなたにオススメです」と条件反射のように、無数の情報を差し出してきます。しかし、その星の数ほど存在する情報すべてを知ることはできません。私たちの意識が向かう対象、それが選ばれた情報になる、ということです。
興味と関心が「世界を決める」
なぜ、ある情報には無関心で、別の情報には心が惹かれるのか? それは、私たちの「意識の向き」によって情報との関係性が変わるからです。人は、自分が興味や関心を持ったものに対して、深く意識を注ぎ込みます。
たとえば、「猫」に興味を持てば、通勤途中で出会う猫、SNSで流れてくる猫の動画、猫に関する書籍や雑誌・・・・と、まるで世界が猫であふれているかのように感じるようになることってありますよね?
この現象は決して偶然ではなく、「意識が向いたものが世界に浮かび上がる」ということ。いわば、情報は最初からそこにあったのではなく、「見る」という行為によって、初めて私たちの世界に登場してくるのです。
興味が深化するか、離脱するか
そして面白いのは、「知ろう」とすることでその対象との関係が変わる点。最初はただの「興味」だったものが、知れば知るほど「好意」に変わっていくことがあります。逆に、知ってみたら「自分には合わない」と感じ、急速に冷めてしまう場合もしかり。
この動きは、まるで量子力学の世界で語られる「観察すると状態が変わる」現象に似ています。電子は観測されるまで波として存在していますが、観測された瞬間に粒となるようです。
人間の興味もまた、観測(=関心を向ける)という行為によって状態が決まり、その後の展開が変化するということです。
「もしも」の世界は本当にある?エヴェレットの多世界解釈とは
私たちの現実は、たった一つの選択で決まっていると思いがちです。右に進むか左に進むか、Aを選ぶかBを選ぶか・・・。
しかし、量子力学の世界には「すべての選択が実現している」という驚くべき考え方があります。それが、ヒュー・エヴェレットという物理学者が提唱した多世界解釈です。
この仮説では、私たちが何かを選ぶたびに、選ばなかったもう一つの世界が分岐して存在するとされます。
たとえば、朝コーヒーを飲んだあなたがいる世界のほかに、「コーヒーを飲まなかったあなたがいる世界」もまた、どこかに存在しているというのです。
この発想の出発点は、量子力学の「粒子の状態は観測されるまで決まらない」という原理にあり、従来の考え方では、観測によって一つの状態が選ばれ、他の可能性は消えるとされていました。しかしエヴェレットは、「実は消えていない。すべての可能性がそれぞれ別の世界として並行して存在している」と考えたのです。
う・・・ん。一般常識からは少し考えられませんね。
つまり、あなたが今日の昼にカレーを食べた世界があるなら、ラーメンを食べた世界もちゃんとある。どちらのあなたも存在していて、それぞれの人生を歩んでいる。ただ、私たちはそのうちのひとつの世界しか認識できないにすぎないというわけです。
う・・・ん。わけがわからなくなってくる笑
この理論は非常にスケールが大きく、直感には反しますが、量子力学の矛盾をうまく説明できる点で注目を集めているというのですから驚きです。SFのような話に聞こえるかもしれませんが、今では多くの物理学者がこの可能性を真剣に検討しています。
私たちの「今」も、「もしも」も、実はすべてどこかの世界で現実になっているという多世界解釈は、そんな不思議で壮大な宇宙観を私たちに提示してくれます。
もちろん、どこかの世界というのは地球だけの話ではないでしょう。
情報の選択が、未来を創るということ
この観点から言えば、日々どんな情報に触れるか、どこに意識を向けるかは極めて重要だと言えます。ネガティブな情報ばかりを浴び続ければ、その世界が現実となり、ポジティブな側面に意識を向ければ、世界は希望に満ちた場所として姿を現します。
「世の中のすべてのモノ、コト、現象」は、「素粒子」が元になってつくられていると、村松大輔さんは著書、「量子力学的習慣術」の中で述べています。
目の前に存在する、あるいは、目の前に出現する物体や事象のすべては、「素粒子」が集まり、組み合わせを変え、カタチを変えて、つくられているということです。
素粒子の寄せ集めでつくられている現実の世界もこれと同じです。あらゆる情報によってあなたが決断、判断、選択したものは、現実としてあなたが思うように作り変えてしまうきっかけとなってしまうということなのです。
情報の洪水のなかで私たちができること。それは、ただ受け身で情報を浴びるのではなく、自分の「観測者としての立場」に責任を持つことです。何を観測し、何を観測しないか。それによって、人生の質そのものが素粒子の力によって変わっていくというのです。
観察者としての自覚を
私たちは宇宙のなかの小さな存在でありながら、自分の意識によって世界を編んでいます。情報という無数の波のなかから、どの波を粒に変えるか。それはすべて、私たち一人一人の選択にかかっていますね。
量子力学が示すように、観測はただの受動的な行為ではありません。それは、現実を創造する能動的な力です。私たちもまた、日々の情報を「選んで観る」ことで、自分だけの世界を築いています。だからこそ、何を見るか、どこに心を向けるか・・・その選択を丁寧にしたいものです。
自分が興味を持ち、
心が震える対象こそが、
あなたを未来へ導く周波数の高い情報であることは間違いないようです。