テレパシック感性〜生きる世界を変える〜

情報の海で溺れて心を見失わないための力

なぜ、今『テレパシック感性』が必要なのか?

施術をしていると、不意に「あ、ここだ」とカラダの痛みの原因がふっと浮かぶ瞬間があります。
理屈を超えて、ある種の“直感”のようなものが、目の前の患者さんの状態を照らし出すのです。
これは、魔法ではありません。
ましてや僕は、超能力者でも透視者でもありません(笑)。
けれど確かに、経験を重ねるうちに、筋肉や筋膜、関節の構造などが“地図”のように感覚として立ち上がってくることがあります。
腰痛の原因が腰にあるとは限らない。
足首かもしれないし、肩甲骨のわずかな歪みが引き金になっているかもしれない。
その“つながり”を感じ取る力、それが研ぎ澄まされてくるのです。
これは特別な才能ではなく、言ってみれば一種の「職業病」。施術家としての視覚・聴覚・触覚を、まるで筋トレのように繰り返し使い続けることで磨かれていった結果です。
僕はこの感覚を「テレパシー」とは言いません。だけど、限りなく近いものだとは思っています。

「テレパシー」とは、無言の言語

僕が考える「テレパシー」は、超常的な能力ではありません。
それは、“言葉を使わずに伝わる感覚”、いわば「無言の言語」だと思っています。そしてこの言語は、国籍も年齢も関係なく、誰もが最初から持っている共通言語なのです。
たとえば、生まれたての赤ちゃんが泣いているとき、母親が何も言わずに抱き寄せ、自然と泣き止ませる。
これはまさに、言葉を超えた意思疎通です。あるいは、親しい友人と無言で過ごす時間の中に流れる、深い理解と気遣い。それもまた、テレパシー的な感性が働いている証でしょう。
僕たちは気づかぬうちに、日常のなかでこの“テレパシック感性”を使って生きています。感じ取っているのです。相手の気分や雰囲気、真意や躊躇い。そのすべてを、言葉よりも先に肌で。
僕が施術家としてこの感性を磨けたのは、たまたま身体を通じて他者と深く関わる仕事に就いたからに過ぎません。でも、この力は決して専門職だけのものではなく、誰の内側にも眠っている“原初の能力”なのです。
はじめは、「なんとなく、そんな気がする」という程度だったかもしれません。けれど今では、確信しています。意識の中に浮かんだ“印象”や“感覚”は、現実を創り出す。それほどまでに、この感性は現実とリンクしているのです。

情報の渦に呑まれないために

今、なぜ「テレパシック感性」が必要なのか。それは、この社会があまりにも「言葉」に頼り過ぎているからです。
SNS時代。情報は無限に流れ、誰もが“発信者”になれる。けれどその反面、言葉は時に操作され、過剰になり、真実を覆い隠します。見た目や印象だけが先行し、「何が本当なのか」がどんどん曖昧になっている。
たとえば最近のニュースで言えば、兵庫県の斎藤知事に関する報道、アメリカの大統領選。オールドメディア(従来型メディア)とニューメディア(ネットメディア)の報道内容がまるで正反対だったことは記憶に新しいでしょう。
一方は否定し、一方は肯定する。どちらを信じるかは、もはや「理屈」ではなく「感覚」の世界。人々は最終的に、自分の中に芽生えた“印象”に従って判断を下しました。これこそが、テレパシック感性の働きです。
「なんとなく、こっちが真実に近い気がする」
その“なんとなく”の中にこそ、理性では説明できない情報の真贋を見極める力があります。
 
だからこそ、今の時代、言葉よりも先に、感覚で“嘘か本当か”を見分けられる力が必要なのです

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テレパシック感性とは、未来を生き抜く羅針盤

私たちは、もともとその感性を持って生まれてきた。けれど言葉や常識に頼る社会の中で、いつのまにかその能力は曇り、奥底に眠ってしまった。
今こそ、それを目覚めさせるときです。
テレパシック感性とは、他者との共鳴力であり、未来を見通す直観力です。混迷の時代を生き抜くために、自分の内なる“真実を感じ取る力”を取り戻すこと。その力こそが、外側のノイズに惑わされない“静かな羅針盤”になってくれるでしょう。
 
静かに、しかし確実に、この感性は社会を変えていきます。
そして、きっとあなたの人生も。