「PERFECT DAYS」の公開日は 2023年12月22日だった。カンヌ国際映画祭で高い評価を受け、役所広司が最優秀男優賞を受賞したという。当院に来られている方々の評価も良かったのでぜひ映画館でみたかったが、タイミングがずれて観れなかった。
それが、アマプラに落ちてきているではないか。遅ればせながら早速観てみた。
まず、「PERFECT DAYS」を観終わったとき、心の奥底に静かな波紋が広がっていた。最初は、そのシンプルさに戸惑った。東京の片隅でトイレ清掃員として働く平山(役所広司)の日常が、淡々と、しかし丁寧に描かれる。
朝起きて、歯を磨き、制服を着て、缶コーヒーを飲みながら仕事に向かう。繰り返されるそのルーティンに、現代社会の喧騒の中で生きる私たちは、どこか退屈さすら感じてしまうかもしれない。だが、この映画はそんな日常の中に、言葉にできない美しさと深い感情をそっと忍ばせていく。
平山の生活は一見単調だ。しかし、彼がトイレを磨く手つき、街路樹の木漏れ日を見つめる眼差し、古いカセットテープから流れる音楽に耳を傾ける姿に触れるたび、何かが胸の中で疼き始める。それは、生きることへの純粋な愛おしさだ。彼は決して多くを語らない。寡黙で、控えめで、ただひたすらに「今」を生きている。だが、その静けさの中に、人生の重みと喜びが凝縮されていることに気づかされる瞬間が訪れる。
特に印象的なのは、彼が公園で木々を眺めながら撮る写真のシーンだ。使い捨てカメラで捉えた光と影。それはまるで、彼が日々の中で見つけた小さな奇跡を、誰かに伝えることなく自分だけの宝物として胸にしまっているかのようだ。このシーンで、なんだろう、心がユラユラと揺さぶられた。何気ない日常に潜む美しさを、彼は知っている。そしてその美しさを、彼は誰かに押し付けることなく、ただ静かに愛しているのだ。
物語が進むにつれ、平山の過去の断片が垣間見える。姪との再会、妹との会話。彼がなぜこの暮らしを選んだのか、明確な答えは与えられない。それでも、その空白こそが観る者の想像を掻き立て、感情をさらに深く掘り下げる。もしかしたら彼は、かつての傷を抱えながら、それでもなお生きる意味を見出そうとしているのかもしれない。そんな思いが募ると同時に、彼の穏やかな笑顔に涙が滲む。複雑な思い。
そして、クライマックスのあのシーン。
平山が車内でパティ・スミスの「Perfect Day」を聴きながら、表情を変化させる瞬間。視聴者もここで涙を抑えきれなくなるんだろう。喜びと悲しみ、諦めと希望が交錯するその顔は、言葉を超えて人生そのものを語っていた。無言の凄まじい描写はさすが日本のトップ俳優。
彼の目尻に光る涙は、確かに心に落ちる。熱く、切なく、胸を締め付ける。この映画は、完璧な日々など存在しないことを教えてくれる。でも、その不完全さの中で輝く瞬間を、私たちは確かに生きているのだと。
「PERFECT DAYS」は静かな映画だ。派手なドラマも、大きな事件もない。それでも、観終わった後、少し立ち上がれなかった。シンプルというものは時には大きな衝撃となる。平山の生き方が、心の中に深く根を張り、何か大切なものを思い出させたからだ。それは、生きることの儚さと美しさ。そして、そんな日々を愛おしむ気持ち。この映画は、今も思い出すたびに心を静かに、しかし力強く揺さぶり続けている。

角度を変えてみた感想
本作は、日常の描写の延長線上から未来と過去を俯瞰する映画だと感じた。現代社会における「幸福」と「生きる意味」を哲学的に問いかける作品ではあるまいか。
平山の暮らしは、物質的な豊かさではなく、日々の小さな楽しみや自然とのふれあいによって成り立っている。これは、エピクロス哲学の「必要最小限の快楽による幸福」に通じる。彼は外的な成功や過剰な欲望に執着せず、音楽や読書、木漏れ日といった些細な喜びを享受する。これは、現代の消費社会に対するカウンターパンチだ。
平山は世間の価値観に流されることなく、「いま・ここ」に集中しながら生きている。その態度は、「死を意識することで本来的な生を生きる」というハイデガーの思想とも共鳴するだろう。平山は過去や未来に囚われるのではなく、「今日」という日を淡々と、しかし豊かに生きる。その姿勢に心が動くのは幸福も豊かさも実はすでに目の前にたたずんでいるという深い海底からの響きのように感じるからだ。
平山のように、
一つ一つの瞬間を丁寧に生きることで、
人生そのものが美しくなるのかもしれない。
もし鑑賞したら、気になる三冊の本が出てくるはず。
それが下記の三冊です
『野性の棕櫚(The Wild Palms)』 - ウィリアム・フォークナー 著
フォークナーのこの作品は、日本でも翻訳されており、原題 The Wild Palms に基づいて『野性の棕櫚』として知られています。訳者は時期や版によって異なる場合がありますが、例えば岩波文庫版では大橋健三郎による翻訳があります。映画では英語版が登場しますが、日本語版も広く読まれています。
『イレヴン(Eleven)』 - パトリシア・ハイスミス 著
日本語訳タイトル: 『11の物語』
この短編集は、日本では『11の物語』として翻訳されています。早川書房から刊行された版があり、ハイスミスのサスペンスフルな短編が楽しめます。特に劇中で言及される「The Terrapin」は「テラピン」として日本語でも読むことができます。翻訳は佐々田恵によるものが一般的です。
この短編集は、日本では『11の物語』として翻訳されています。早川書房から刊行された版があり、ハイスミスのサスペンスフルな短編が楽しめます。特に劇中で言及される「The Terrapin」は「テラピン」として日本語でも読むことができます。翻訳は佐々田恵によるものが一般的です。
『木』 - 幸田文 著
新潮社から刊行されています。幸田文のエッセイ集として、そのままのタイトルで親しまれています。映画でもこの日本語版が登場し、平山が読む姿が映し出されます。
映画の中で平山が手に持つ本の表紙を思い浮かべながら、これらの作品に触れてみるのも一つの楽しみ方だと思う。