活動記録

施術家 吉田正幸のブログ

整体師は修行僧に似ている

一日200名の来院者がいたときはまるで修行僧のようだった。

朝7時には院に着き、8時台から施術した。スタッフ5名。昼休みといっても時間がおしているので、息つく間もなく午後の施術。気づくと暗くなって、最後の患者さんを送り出す。だいたいそれが20時すぎ。疲労と空腹が一気に襲ってくる。しかし、止まることはできない。それから片付けて、会計処理をやって、21時すぎにようやく院を出るのだ。

いくら食べても太らなかった。それは活動し続けているから。長時間動き続けているので、短距離走のランナーのような速筋ではなく、長距離ランナーのような遅筋が我が身についてくる。

新人は最初のうちはすぐにバテる。整体カラダになるためには、このような長時間、立ちっぱなしで運動し続けて、ようやくバテがなくなり楽になる。カラダは環境によって作られるのは本当だ。今から思えば修行僧のようだった。修行僧も運動不足にならないと勝手に思っている。(今の修行僧は知りませんけど)

修行僧が運動不足にならないという理由はいくつか考えられる。
  1. 日常の活動量が多い
    • 多くの修行僧は、寺院や僧院での生活が非常にアクティブである。掃除、料理、農作業など、日常の雑務も多い。これらが自然と運動の一環となる。
  2. 瞑想や座禅でも筋肉を使う
    • 瞑想や座禅は静的な活動に見えるのだけれど、実はそうでもない。長時間正しい姿勢を保つためには体幹や背筋などの筋肉が必要なのだ。筋トレよりも坐禅のほうが時間も長い。これも一種の筋力トレーニングのようなもの。というかまさに筋トレだ。
  3. 歩くということ
    • 特に大きな寺院では、移動自体が運動になる。Loopのような電動ボードなんか寺院にはないし、あったらなんか違う。さらに朝のお勤めや参拝者の対応で、かなりの距離を歩くことがあるだろう。しかも芸能人のように観られている、という意識も働きそうだ。
  4. ヨガや太極拳などの修練
    • 一部の宗教や宗派では、ヨガや太極拳などの身体を使った修練が組み込まれている(日本には少ないのかな)これらは直接的な運動であり、さらに心身の健康に貢献している。呼吸法も伴うので心身ともに行える修練の一つ。
  5. 精神的な強さと規律
    • 修行僧の生活は規律正しい。朝早く、夜も早い。自然の摂理と限りなく一致している。その上、修行しているので身体活動に対する意識も高いのだ。健康を維持するために必要な運動を自発・積極的に取り組む傾向がある。
これらの複合的な組み合わせは、運動不足になるリスクを低減している。ただし、誤解してはならないのは、全ての修行僧が同じ生活スタイルを持つわけではないということ。活動も少なく、動かずに食べすぎたり、お酒を飲んだり、その上、繁華街や女の子のいるお店やカラオケにばかり行くような(修行僧でなく僧侶?)僧侶は皮下脂肪だけではなく、心の脂肪もベッタリ付いていると思われる。(スイマセン)

修行僧は修行を終えたらどうなるのか?

要は、修行僧が修行を終えた後の進路。コレは、所属する宗教や宗派、個々の目標や希望によって大きく異なるそうだ。多くの修行僧は、修行を終えると自身の寺院や新たな寺院で教えを広め、他の修行僧や信者の指導を行うことになる。なんとなく整体師と似ている。

修行を積んだ整体師は間違いなく教えることをやりだす。そして、規模がでかくなったりする。

僧侶の続き。
特に能力や信仰深さが認められた場合、住職や高僧としての地位を得る。宗教学や哲学を教えるために大学や専門学校で教鞭を取る僧侶もいて、特に仏教や禅の教えを伝えるための教育活動を行う。

他には社会の平和や福祉に貢献するために、NGOやNPOなどで活動する僧侶は、教育、貧困対策、環境保護など、さまざまな分野で活動している。

他には自身の体験や学びを書籍や美術、音楽を通じて表現し、特に、瞑想や精神修養に関する本を出版する僧侶は少なくない。「◯◯◯◯の生き方」みたいな本だ。

修行を終えた後、世俗の生活に戻り、一般の職業に就く者もいる。この場合は信仰を保持しながら、日常生活や仕事にその教えを生かしている。

そのほか、修行を終えた後も、巡礼や独自の修行を続ける僧侶、各地の聖地を訪ねたり、自然の中で独自の悟りを求めたりする永遠の修行に入っていくパターンもある。修行僧の王道スタイル。

特に仏教では、海外での布教活動に従事して、異文化理解と宗教の普及を目指して活動する人もいる。個々の修行僧の選択やその後の人生の展開によって、多様な道が開かれる。重要なのは、修行を通じて得た知識や精神性をどのように活かすかという点だ。

まさに整体修行も一緒だ。
修行して、多店舗展開や整体スクールを経営する(した)一時は自分も経営だけに傾いたこともあったが、やはり施術の道に戻った。ただし、あの頃のような激多忙の働き方はできないし、したくもない。自分の健康があってこその仕事だから。

元の鞘に戻り、今は完全にマイペースで施術ができている日々に感謝している。

修行僧は修行僧のままで人生が終わるわけではない。高僧を目指して歩む僧侶のように、自分もその道を選んだ。整体修行はまだまだ続く。一度施術の道を外れそうになって初めてわかったことがあるから、なおさらだ。高僧のようになれるかどうかなんてどうでもいい。

今はただ、淡々と施術していきたいだけだ。