“愛”という言葉の響きはわかっちゃいるけどストレートに言いづらい。
「愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない、自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しない限り、人を愛そうとしても必ず失敗する。」
(エーリッヒ・フロム『愛するということ』より)
この言葉に出会ったのは今から30年以上前です。
約41年前に「愛の技術」と題されるこの原書は新鮮で衝撃的でした。
愛には努力が必要・・・・・・!?
捉えどころのないような感覚に少なからず違和感を感じたことを覚えています。
愛には努力が必要で、一種の技術である。
少なからず愛に迷い、愛に失望し、愛に望みを感じることができなかった自分にタイミングよく飛び込んできた言葉でもありました。様々な指南書が氾濫している昨今、恋愛本、SEXマニュアル、デートブック・・・といったテーマの書籍や雑誌が目立ちます。
しかし、「愛は技術である。」と言い切った、ストイックで偏屈な本はそう簡単には見つかりません。
現在は軽率でプラトニックのかけらもないような「S〇X本」が多く出回っています。この41年という時間の流れの中で、科学技術は素晴らしい発展を遂げましたが、愛の技術はどうでしょうか?
約41年前に「愛の技術」と題されるこの原書は新鮮で衝撃的でした。
愛には努力が必要・・・・・・!?
捉えどころのないような感覚に少なからず違和感を感じたことを覚えています。
愛には努力が必要で、一種の技術である。
少なからず愛に迷い、愛に失望し、愛に望みを感じることができなかった自分にタイミングよく飛び込んできた言葉でもありました。様々な指南書が氾濫している昨今、恋愛本、SEXマニュアル、デートブック・・・といったテーマの書籍や雑誌が目立ちます。
しかし、「愛は技術である。」と言い切った、ストイックで偏屈な本はそう簡単には見つかりません。
現在は軽率でプラトニックのかけらもないような「S〇X本」が多く出回っています。この41年という時間の流れの中で、科学技術は素晴らしい発展を遂げましたが、愛の技術はどうでしょうか?
恋愛や妄想などで感情のもつれから行き場を失って、自〇や殺〇事件などが巷のニュースにあふれ返っています。科学技術の進化と並行して愛の技術や嫉妬に対する技術など、“感情”の技術もそれなりに進化発展すれば良いのですが、ご覧の通り物理的技術と精神的技術は開く一方です。
ITや技術革新がどんなに進んでも生身の人間の感情コントロールの革新はまったく進化していないのです。これらの悲惨な結果は愛の技術にある通り、「利己的な愛」が氾濫してしまった結果ではないかと思えてきます。
「愛は技術である。」と同様、「自分と同じように隣人を愛せよ」という約2000年前に救世主と言われたイエスが語ったこの言葉はもう私たちの心の中に反映されることは無いのでしょうか?(キリスト教徒ではないですが)
そんなことは無いと思いたい。このいたってシンプルな教えである、【愛の技術】が今、まさに必要な時期だと思うのです。
なぜならば、いつ戦争が起こってもおかしくない。いつ大震災がきてもおかしくない。そんな世紀末的な時期に生きているからこそ、人の死は自分の家族の死だと思えるような感覚を持たなければならないと思います。
愛する人を尊敬し、信頼し、規約を尊守し、謙虚にそして、勇気を持って、奪わず、可能性を閉じ込めず、やさしく見守る・・・・このような【愛の技術】を本書で鍛えることも必要なのでしょう。今も昔も支持されている本書が陳列してあるだけましなのかもしれませんが。
「愛は信念を伴って発芽するのだ」ということを毅然とした態度で正面から語ってくるこの本は、戦争を止める力を持っていると感じます。戦争は必要なし。人間は生まれてから死ぬまで「戦争」なんて言葉自体を知らなくていいはずです。「愛するということ」からの言葉の響きは、大切にしたい言葉の響きです。
本日もあなたにとって素晴らしい気づきが降り注ぎますように・・・・。
本日もあなたにとって素晴らしい気づきが降り注ぎますように・・・・。