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施術家 吉田正幸のブログ

「ジョーカー フォリアドウ」を観た

 

           

 

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『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(原題:Joker: Folie à Deux)は、2019年の映画『ジョーカー』の続編で、トッド・フィリップスが再び監督を務め、ホアキン・フェニックスがジョーカー役として再出演します。

YouTubeのーstoryーでは下記のような前振り。
ジョーカーになった男のその後―ラストに備えよ。 理不尽な世の中の代弁者として、時代の寵児となったジョーカー(ホアキン・フェニックス)。彼の前に突然現れた謎の女リー(レディー・ガガ)とともに、狂乱が世界へ伝播していく。孤独で心優しかった男の暴走の行方とは?誰もが一夜にして祭り上げられるこの世界――彼は悪のカリスマなのか、ただの人間なのか?衝撃のラストに備えよ。

基本情報

 
全国劇場公開:2024年10月11日(金)
監 督・脚本・製作:トッド・フィリップス
出 演:ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、ブレンダン・グリーソン、キャサリン・キーナー、ザジー・ビーツ
上映時間:138分
 

あらすじ(ネタバレあり)

 
舞台は、前作から2年後のゴッサム・シティ。
アーサー・フレックはアーカム州立病院に収容されている。彼は前作で起こした事件の後、裁判を待つ身。アーサー・フレックは病院で新キャラクターである、リー(レディー・ガガが演じる)という謎めいた女性と出会う。リーはハーリーン・クインゼルという名前で、彼女もアーカム・アサイラムに収監されていた。

その関係の発展がストーリーの大半だ。アーサーとリーは交流を深め、互いの狂気が共鳴し始め。彼らの関係は「フォリ・ア・ドゥ」(二人狂い)という精神障害の概念に基づいており、一方の妄想が他者に感染する現象を示していた。アーサーの裁判が始まり、メディアや民衆は彼を悪のカリスマとして祭り上げる。しかし、アーサーは自分がジョーカーではないと主張し、裁判で混乱を招いた。

裁判中、爆発事件が発生し、混乱の中でアーサーは一時的に逃亡するが、最終的には再び捕まってアーカムに戻される。アーサーはリーへの愛情を確認するも、彼女との関係が現実か妄想かは曖昧なまま。物語の終盤、アーサーは他の囚人によって刺殺され、その囚人がジョーカーになるための「生まれ変わり」を暗示するような終わり方をしていた。(これは独断)
 

評 価

 
ネットでの酷評が多いというのを、当日の開始十分前に劇場内で知った。ただ、人は人、自分は自分というスタンスで何か感じられる要素があればいいや、という半ばあきらめと気軽い感覚で観れたのが逆に良かったな。
 
下記のような評価・感想は多い。
 
「こんなにミュージカル映画でしたっけ。演出を音楽に頼り切っている感じがした。」

「ミュージカル寄り路線に変更するアイデアは悪くないと思うけど、やり方や脚本がつまらなすぎた。ホアキンの歌唱力も聴いてられない。というか盛り上がる場面がなく終わる。」

「ストーリー展開や結末があまりにも自分の予想通り過ぎてしまって、前作のようなインパクトは正直感じることができなかった。」
 

感 想

 
この作品は、「ジョーカー」という存在が社会的な象徴としてどのように用いられるか、そして個人と群衆の狂気がどのように交錯するかを探求していたと思う。確かに映画はミュージカルの要素を取り入れ、現実と幻想、そして社会批判が絡み合った複雑なプロットを描いている。賛否両論が大きく分かれていて、前作と比べて異なるアプローチが評価されたり、逆に期待を裏切ったと感じる人もいるのはごもっともだと感じた。
 
印象に残ったのは、アーサー・フレック(ジョーカー)の裁判中の友人との具体的なやり取りだ。
 
アーサーは裁判所で証人として唯一の友人であるゲイリー(リー・ギル)と再会した。このやり取りはアーサーが自分がジョーカーとして認識されていることに恐怖を与えていたことを知るきっかけとなった。アーサーは、彼がジョーカーとして振る舞うことが、ゲイリーのような弱い立場の人々には強者であり、恐怖として映っていたことを実感したのだろう。ちなみにゲイリー役のリー・ギルはイギリスの俳優で小人症を患っている。

そんなアーサーはたじろいだ。ゲイリーが、裁判所で証言をするシチュエーションである。ゲイリーはジョーカーの恐ろしさにトラウマを抱え怯えながらも、その扮装の下にいるはずのアーサーに、「君は、みんなと違って僕のことをバカにしなかった優しい人じゃないか」と語りかけた、あのシーンだ。ここでアーサーの善性が一気に噴き出していくシーンは心に刺さった。本来の心、優しい面や純粋な面に対峙しようという心だ。
 
そして、精神的な幻想を排除して、現実的に宇宙的な善という視点で観れば、このゲイリーは完璧な純粋性を叩きつけている。ゲイリーの存在は欠かせない。ゲイリーは神の子が具現化した姿でとてつもない無限の愛と強さを持っていた。それが幻想・妄想をかき消し善性へ向かわせたのだと思う。
 
映画館をあとにした。
ネットでの評価など当てにならないこともある、
そう思いながら帰途についた。