仕事

2007年整体スクール 青山時代

2003年から突っ走り2004年、2005年そして2006年に入って、
溝の口寺子屋からはじまり、手狭になって三軒茶屋へ移転。更に手狭になり青山・表参道へ
移転した。
田園都市線沿線「溝の口」から始まった整体スクールが三軒茶屋、そして、表参道なんていう都上げ?今から思えば利己的に小さい目標だったと思うが、ちっちゃな寺子屋から始まった整体スクールからすれば結構、短期間での急成長。

勢いや流れ、みたいなフロー状態を楽しんだ。そしてなんといっても生徒さんが一番喜んでくれたのが講師ならびに学院事務局全員がモチベーションを上げられた理由だ。

今から考えれば、別に青山でなくても一向に構わなかったが、銀座で開業や店舗を持つことが
なんとなく成功というイメージだった時代背景もあり、僕はなぜか銀座がどうも馴染めず、
スタッフも喜びそうで若者が多く、お洒落なイメージを持つ都会的な場所を選んだ。
それが表参道・・・だったのだ。しかし、結局、表参道にはちょうど良い物件は見当たらずに最寄り駅は外苑前に決定。約60坪のだだっ広いオフィスビルの2階のワンフロアーを借りた。
その物件は整体スクールの教室と事務局、そして代表である私の部屋それぞれがすべて
イメージ通りの現実となった。今までの三軒茶屋と比べ、教室の広さは圧倒的に違った。
一気に4倍以上になった。しかも地下駐車場完備で更にイメージの青写真と一致した。
思い描いた場所にパズルのコマがピッタリと合った感覚だ。
ただし・・・家賃が馬鹿みたいに高い。
しかし、そんなことどうでも良いから僕は前へ前へと進みたかった。
ここにくるまでにはいろいろな人たちとの出会いが偶然を装ってやってきて、叶った、
そんな不思議な感覚を伴っていた。

MAX時には整体実技講師が4名、座学が6名以上の講師による授業。
実技に関しては“筋膜”“関節”“骨格の歪み”そして、“エネルギー療法”の四項目を土台に
して授業は進行する。すべて実技は優秀な実技成績を収めた元生徒が講師として教えた。
と、同時に当時の直近スタッフに全て任せた。


自分は座学中心。内容はメンタルを中心とする“パーソナルパワー”を上げていくための
授業構成だ。独立開業専門の整体スクールの根幹コンテンツ。
整体師として独立をしたときに一番肝心なものは“手技”は勿論のこと、それプラス
“パーソナルパワー〟だ。起業に就職するのと違ってスモールビジネスにおいては
〝職人的気質〟〝マネージメント気質〟そして自分一人で道を切り開いていく・・・
という〝起業家気質〟が必要。
これは全米100万部のベストセラー「はじめの一歩を踏み出そう」マイケル・E・ガーバー著に
こんこんと書いてある。
勿論、最高の良書として生徒さんにも勧めた。
肉体力+精神力を引き上げて、どんな否定的、破滅的?(笑)状況でも、ピンチをチャンスに変えて、オーナーとして、起業家として突き進んでいく勇気の塊のようなエネルギー体に仕上げていくための授業だ。
メンタルが根幹。
そして情報収集しながらのトライ&エラーが独立起業家には必須だと確信している。

しかし、少し大げさかもしれないが、雇われない生き方というのはこんなエネルギーが
とても必要だと感じる。雇用される側から雇用していく側への方向転換ということ自体に
物凄くエネルギーが必要なのだ。
言葉にすれば、<流されない力>や<変化を恐れない力>といったもの。

2020年現在の生徒さんにもこの根幹であるパーソナルパワーに関しては常に伝えてる。
しかし、卒業してしばらくすると、「今になってようやく授業の意味が解りました。」と
いうのだ。それだけ起業前と後では意識形体が全く違う。ただ、技術だけを教えても絶対に独立できないのだ。

書籍の出版、セミナー開催などにより、全国から生徒さんが集まり、自分もスタッフも毎日血眼になって業務していた感覚の日々だ。

丁度、この時期にRunningを始めた。
外苑前を昼休みに良く走った。多忙な日々で運動不足が顕著だったから。このままではい
けないという焦燥もあった。毎日、いろんな人たちと会って話し、飲み、社交というもの
を広げた。しかし、元々一人が好きなうえに職人気質が重なり、少しづつそんな日々が
面倒くさくなった。

スタッフに任せ、本来経営者ならば管理や組織運営に万進するのだろう。
僕自身も経営者として経営せざるを得ない状況になってしまっている。
もう、以前のような自分自身に自由な時間も無くなってきている。人材募集、教育、
管理、運営、配置決定、労務に財務・・・。
今まで、僕は一人で立ち上げ、一人ですべてをやってきた。
そして好きなように生きてきた。
それが人を、会社を管理し、管理され、組織の中で自由な時間と創造が奪われていくよう
な身動きの取れない不自由な感覚に襲われていった。
収入は増えた代わりに大切な犠牲を余儀なくされたのだ。

だから、走った。
いや、走らざるを得なかった。

ABOUT ME
ヴィッシュ吉田
JPMA日本理学手技療法協会 代表理事 フィットバランス療術学院 東京校学院長 株式会社ヴィッシュブレイン 代表取締役

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