「信じる」という言葉はとてもあやふやでとらえどころのない感覚を持つ。
友人を信じる、夫や妻を信じる、会社を信じ、上司を信じ、部下を信じる・・・
そして神や仏を信じるというような宗教観は人間自体を深く支えてきた。
「信じる力」というものがあって初めてスムーズに関係性も良くなるものだ。
いざ、この自分を信じているのか?と問われたら皆さんはどう感じるのだろう。
「はい。信じています」なんて挙手できるものなのだろうか。
本当は自分自身の中にこの答がすでにあるということを中々素直に認められない人たちが多い。
聖書にもあるではないか、「汝自身を知れ」と。
そして16世紀のフランスの哲学者・モンテーニュは、
エッセーに、「世界で最大のことは自分自身を知ることである」とも書いている。
ブッダも「自分を求めるほうが大事だ」と諭しているし、
中国の儒教を生み出した孔子には、『孔子家語』3巻に、こんな問答が残されている。
魯の国の哀公が、孔子に、
「私めは、引っ越しのときに自分の妻を忘れた人がいる、と聞いたことがあります。
そんな人が本当にあるものでしょうか?」と尋ねた。
すると孔子は、
「妻を忘れる位はまだそんなにひどくはありません。もっとひどいのは、己を忘れている者です」
いずれにしても、他人より自分自身を知るということが何より大切だということだ。
まずは他人を信じることは脇へ置いておいて、
自分自身のことを信じられるかどうかにフォーカスしてみたい。
自分を信じられない人間にはもはや他人を信じる余力はなくなっていく。
今の仕事だって「信じて」業務をするわけだし、友人関係も信じることが土台にある。
信じた結果、婚姻だってするわけだ。
本当に信じるに値するかどうかなんていちいち確認して日常生活を
送っているわけでもない。
無意識の中で「信じて」いるからこそ人間関係もスムーズにいくのだろう。
自分を信じる力の有無は、仕事や人生にどのような影響を与えるのだろうか?
自信を取り戻して幸せを感じるにはどう行動すればよいのだろうか?
過去の失敗から自分を信じられなくなった人たちと、自分を信じて成功に至った人たちは
どう違うのだろうか?
「自分を信じる力」とは、自分の考えや価値観に対する信頼感の大きさを意味する。
はっきり言って「自分が好きかどうか」が簡単な判断基準だと感じる。
自分の意見や判断への自信は揺るがないか、
人から何と言われようとぶれない価値観を確立しているか、
といった「自分を信じる力」の有無は、私たちの振る舞いや行動に直結し、
仕事や人生の質を決定づけてしまうほど力を持っている。
好きである対象を信じたい力が無意識に働いていると仮定したい。
そして、自分自身のことを信じるという力は
「自然治癒力」というホメオスタシスにも直結する。
自分を嫌い⇒信用できない 自分が大好き⇒信用できる
本当は自分のことが好きなのに素直に好き、と言えない自分
元々自分のことが大好きなのにあからさまに人には言えない
本当は自分のことが嫌いなのに素直に嫌い、と言えない自分
元々自分のことが大っ嫌いなのにあからさまに人に言えない自分
いろんなパターンがあるが、
「自分のことが大好きで、素直に他人にも自分が大好きだと言える」
という人はそんなにいるのだろうか?
全てが満ち足りていて満足する日常を送っているなら簡単に言えるのかもしれない。
しかし、逆境の時、果たして「自分が大好きだ!!!」とココロから思えるのか。
上手くいかないからといって自分を責めたり、許せなかったりすることもあるだろう。
でも、そんな自分を許してあげて欲しい。
全てをひっくるめてすべて体験は学習の場。
だからもっと大きく、広く、宇宙的に自分自身を包み込んで欲しい。
楽観的に呼吸をするように生きることができればどんなに楽だろうかと
思うこともあるかもしれない。
そんな時は、独りになって、大自然の中の産物をじっと見ながら過ごすことだ。
得ることだけではなく、
自然の流れに則って不必要なものを極力捨てながら生きていくということだ。
そんな自分をまるごとひっくるめて、大好きでいて欲しい。
そして、自分を信じてみて欲しい。
もっと堂々と赤裸々に、純粋に、正直に自分自身に告白してほしい。
「自分が大っ嫌いな、そんな自分全部ひっくるめて・・自分がやっぱ、好き」って
以前、施術中にボソっと言われた
「私、自分が嫌いなんです」。のせめてもの回答として。
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